エディブルシティ 監督インタビュー

 

Andrew Hasse

カリフォルニア州バークレー生まれ。
2008年に開催された『Slow Food Nation 2008』への参加をきっかけに食の問題に関心を持ち始め、シナリオを作らずにドキュメンタリー映画の製作を始める。
映画を作る過程で、質の良い地元産の食材による、再生可能な食のシステムが持つ力に目を開いていき、2015年に『Edible City』(原題)を完成させる。
それ以来、映画の上映活動を続けながら、長編映画の編集や、再生可能な農業やシステム設計に焦点を当てた活動に関わっている。
現在は、北カリフォルニア(オクシデンタル)に居を移して、生態系の一員としての生き方について学び続けている。

2020年に行った最新版インタビュー

 

私たちがドキュメンタリー映画『Edible City』の日本語版を制作して上映活動を始めてから、5年ほど経った2020年。感染症拡大による世界的ロックダウンが起こったことの影響で「皆で集まって映画を見る」ことが難しくなりました。
そして、その後の社会的混乱、生産や流通の現場の変化を目の当たりにする中で「今こそ、この映画を届けたい」と思い立ち、期間限定のオンライン無料公開を行いました。その結果、私たちの想像をはるかに越える数の方々に見ていただくことになりました。
この反響を受けて、日本でたくさんの人たちが映画を見てくれていることをアンドリューに伝えつつ、彼の生の声を日本の人たちに届けたいと思い、インタビューを申し込んだところ、快く引き受けてくれることになりました。
彼が映画を作るに至った背景、映画を作りながら彼に起こった変化、そして今感じていることなど、ざっくばらんに語ってくれた内容を『ハナヤ通信』用に、まとめ直してみました。
(インタビュー日時:2020年8月7日(ズームにて) / インタビュー:冨田栄里 / 編集:冨田貴史)

えり
今年、この映画を期間限定で無料公開したところ54000viewを越える視聴があって、おそらく今回初めてこの映画の存在を知った人もたくさんいると思うの。そんな今、あらためてこの映画を作った動機とかいきさつに興味を持っている人も多いんじゃないかな。

アンドリュー
日本の多くの人たちに関心を持ってもらって、こういう機会をもらえていることをとてもありがたく思うよ。僕がこの映画を作り始めたのは2008年のことなんだけど、そのころ僕の中には農的な暮らしをしたいという思いがあったんだ。その一方で、僕は映画を撮りたいとも思っていた。 畑や菜園があちこちにあるような場所にいたら、食べものについて考えることは難しいことじゃない。もし食べものを手に入れたいと思ったら、畑に行くか、菜園に行くか、ファームスタンド(直売所)に行くだろう。でも、僕の家族や映画を見た多くの人達が住んでいるような都会では、食べものを得るために全く別なことを考えなければいけない。そうやって問いと向き合ってみて、物事を俯瞰してみた時に「このシステムはとても複雑で混乱している」ということを実感した。食というテーマに向き合う時、都市のあり方を見つめる視点は欠かせないものだと思う。都市における消費動向や経済のありかたが世界に及ぼす影響は、田舎のそれとは比べものにならないくらい大きい。だから、自分がどこに住んでいるかに関わらず、都市の食のあり方を見つめるということは、とても大事なことだと思う。
そして、自分たちは共同体としてどこに向かっているのか、未来はどうなっていくのか、ということについて、本当に深く考えていくべきだと思った。こういった問題意識は、映画を作ることになった動機の中の重要な部分だけど、もっと大きく影響していると思うことが3つある。まず、肉体を持った存在としてシンプルに植物、菜園といったエネルギーと身近にいる暮らしを欲していたということ。そして、起こっていることを伝える語り手でありたいという思いがあったということ。そして、自分自身の理解のため。今、自分たちはどんな物語の中を生きているのか。大きな時間軸で見て、自分たちは今どこにいるのか、ということに向き合いたかった。

えり
この映画をつくることを通じて、あなたはどんなインパクトを受け取ったと思う?映画をつくる中で、あなたの中にどんな変化が起こったと感じている?

アンドリュー
映画を作ることを通じて、自分の中に本当に沢山の変化が起こった。まず最初に思い浮かぶのは、映画を通じて出会った人たちの持っている”人びとを勇気づける力”の素晴らしさ。彼らは、自分たちのやっていることに、とても深いレベルでコミットしていた。僕はそんな彼らのあり方に、とても強く共鳴していた。そのことは、この映画をつくっていく中で起こった事の中の、とても重要で大きな部分だと思う。彼らとの出会いによって、僕の中に眠っていた目的意識とか参加意識とか、社会に貢献したいという気持ちが、どんどん目覚めていった。生命、自然界、人類、正義、この星で生きる僕たちの生態系が健全であるためのあり方とか、そういったものを伝えることをする者としての貢献をしたいという思いを、僕はもともと持っていた。でもその思いは、そこまでクリアなものではなかった。そして、彼らとの出会いを重ねていく中で、その思いがどんどん明瞭になっていったんだ。
この映画を作っていく中で受けた大きなインパクトは、この映画に登場する人たちが本当に驚くべき人たちだったということ。彼らは、心を動かされるようなことを沢山語ってくれた。それらの言葉をひとつひとつ拾い上げていく中で、僕はそのひとつひとつにとても深く共鳴していったんだと思う。この映画づくりを通じて僕は、生きていく上で何が大切なのかということを、思い起こしてくことになっていったんだ 。

えり
そうやってこの映画を作ってから何年もが経過して、世界的ロックダウンも起こった。この間に起こった変化についてはどう感じている?

アンドリュー
ここ最近で最大の変化は、このCOVID-19の時期にあったと思う。 僕の身の回りでも、突然思い立ったように菜園を始めたり保存食を作りはじめたりする人がたくさんいた。僕たちはこの間、既存の食料システムや社会システムがいかに脆弱であるかを目の当たりにしてきた。その中で、本能的に何かを感じ取ったり、自分自身を大切にする方法を改めて学び直そうとしている人たちが増えているように思う。今は失われてしまったように見える知恵の多くは、100年前であれば誰もが知っていたようなことかもしれない。でも、それらの知恵はどこかで受け継がれているし、この映画に出てくる人たちや、彼らと同じような活動をしている人達は、そういった知恵を受けつぐ架け橋になっていると思う。
パンデミックの影響によって起こっている変化はとても興味深いものだと思う。ある一定数の人たちが、物事の優先順位や自分の価値観を見つめ直す期間として今を過ごしているように感じるんだ。このことが文化全体に与える影響について、とても関心を持っている。僕自身は・・・大切なことは自分たち自身を自然とつなぎ直すことだと思っている。今起こっていることに対して大きな視点で理解できないのは、僕たちが自然から断絶されすぎたからだと思う。僕たちは本当は自然の一部で、大きな生態系の一員だということを思い出さないと。そう思うからこそ、人びとが自然とつながりだしているという事実を目の当たりにするとワクワクする。

えり
たとえばアメリカではどんな変化が起こっているように見える?

アンドリュー
人びとは野外学習について興味を持ち始めている。野外のほうが安全だからね。COVID-19は野外では感染リスクが低い。僕はそこに希望をもっているよ。僕の身の回りでも、野外学校が始まった場所がいくつかある 。一度子どもたちと外に出たら、ガーデンに向かうのは自然なこと。気づいたら食についての学びを実践する(エディブル教育をする)ことになる。そこに向かっている気がするよ。
オンライン教育もより広がるだろうね。そこに利点もある。より多くの情報が得られるし。オンラインの場でも、いろいろなスキルを習得できるとも思う。でも、僕が長い間いろいろな場所を撮影をしたり、撮った映像を見直したりする経験を通じて感じるのは・・・ガーデンや人びとを映している中で、実際に自分がガーデニングをしたくなったんだ。「本当にやりたいのはこれだ!」って。撮影も楽しかったよ。でも自分も手を泥で汚したくなった。ガーデニングをしている人の姿に触れて、それがどれだけ気持ちいいかを聞いていたら、やらずにはいられなくなる。だから子どもたちが外に出る機会が増えて、外のことを学んだり、走り回ったり、野外に興味が向くようになって自然界に対して目を向けさえしたら、いい方向に向かうと思っている。 正直、この先が楽しみだと思っている。
そして、日本の人たちがこんな風に 映画に反応してくれるのは大きなギフトだよ。僕にとってとても意味のあることだ。きっと、映画に出てきた人にとってもね。彼らとも、ぜひ話をしよう。手伝うよ。また連絡して。映画の出演者たちにも声をかけて、話をしたいから。

<アンドリュー・ハッセ>
カリフォルニア州バークレー生まれ。
2008年に開催された『Slow Food Nation 2008』への参加をきっかけに食の問題に関心を持ち始め、シナリオを作らずにドキュメンタリー映画の製作を始める。
映画を作る過程で、質の良い地元産の食材による、再生可能な食のシステムが持つ力に目を開いていき、2015年に『Edible City』(原題)を完成させる。
それ以来、映画の上映活動を続けながら、長編映画の編集や、再生可能な農業やシステム設計に焦点を当てた活動に関わっている。
現在は、北カリフォルニア(オクシデンタル)に居を移して、生態系の一員としての生き方について学び続けている。

 

2016年に行ったインタビュー

とにかく多くの人に見てほしい。映画を見た人が映画に出てくる魅力的な人たちのストーリーに インスパイアされて行動を起こしてくれたら幸いです。

Q:なぜこの映画を撮ろうと思ったんですか?

地球温暖化や気候変動のことを知って、なんとかしないと、と思った。最初は気候変動に関するドキュメンタリー映画を作ろうと、4、5人の仲間達と動いていた。だけど、どこから手をつけて良いかわからず、なかなかプロジェクトが進まなかった。そんな中、2008年カール(エディブルシティのプロデューサー)に再会したんだ。その時カールはパーマカルチャーを学び、食べられる庭を作ったりしてた。僕ももともと食や農に関心があったし、カールから話を聞いているうちに食に関するムーブメントが起こっているような気がした。そこで気候変動の映画もなかなか進まないし、当面の間、カールと一緒に食について起こっている事例を取材していこうっていう話になったんだ。そして、2008年にサンフランシスコでスローフードネイション(*1)という会議が行われることになり、その会議に参加した。それは自分にとって、とても重要な意味を持った。なぜなら、映画の前半のシーンにあるように、マイケル ポラン氏などこの分野の専門家たちの話を聞いたりしているうちに、この食というテーマは都市農業だけでなくシステムに関する世界規模の課題で、しかも個人としてできることもたくさんあると気がついた。 気候変動というとても恐ろしいけど、個人として何をしたらいいかわからないというテーマと違い、食は自分たちにもできるという感覚をあたえてくれるテーマだと感じた。誰でも土に触れることはできるし、植物を育てることで直接的な結果が体験できるしね。

そして、食に関する活動をしている人の話を聞いていくうちに、もしかしたら、食が多くの問題の解決の入り口になるんじゃないかと思った。

何より印象的だったのは、彼らが皆とても楽しそうに活動していることだった。自分がもともと気候変動をなんとかしたいと思ったのは、恐れが動機になっていたんだけど、食に関する活動をしている人たちは皆、とてもポジティブだった。土に触ることは楽しいし、一緒に美味しい食べ物を食べると、 コミュニティができる。食は人を一つにする力がある。コミュニティができるとそこからたくさんのことが生まれてくると思うんだ。 食のシステムはとても複雑だけど、 菜園に関わると、どれだけの時間や労力がかかるかがわかるし、食のシステムを作っている要素が具体的な体験として理解するきっかけになると思うんだ。

ポイジティブなビジョンを持って、自分ができることをやっている人に出会うちに、これらの魅力的な人たちの活動をただ伝えたいと思うようになった。出会った人たちの活動に触れ、ただ彼らみたいな人たちがいるということをより多くの人に知ってもらえたらという思いから、この映画にフォーカスすることに決めたんだ。もともと気候変動に関するドキュメンタリーを作ろうといって集まっていた仲間たちの興味関心とは少しずれてしまったから、最終的には僕とカールの二人での製作になってしまったけどね。

でもこの映画を通じて、人間的にとても魅力的な人たちにたくさん出会うことが出来た。自分がこの映画をやりとげようと思ったのは、出会った人たちにすごくインスパイアされたからだと思う。 ジョイやアントニオに出会って、彼らの話を聞くうちに、彼らのことを多くの人に知って欲しいと思った。そしてジョイやアントニオが映画を見た時に、自分たちがやっていることに自信と誇りを感じてもらえたらと思った。彼らのメッセージの一番心が動かされる部分を伝えられたらと思った。彼らのストーリーを広げていくことが、僕が彼らに対して貢献できることだと思ったからね。

Q: どんな風にキャストを選んだんですか?

誰にインタビューするか、最初から決まっていたわけじゃなくて、すべて人のご縁でつながっていった。すべてが有機的にすすんでいったよ。最初にでてくるシーンが僕らが一番最初に撮影したシーンだったんだ。コンクリートを潰している場所はカールの家の目の前だったんだよ。2回目の撮影はslow food nation でだった。

そこでまずフードファーストという団体の代表をしているエリック ヒメネス氏に出会ったんだ。彼はメキシコの農民たちの権利を守る活動をしていた。エリックが食のシステムを国際的、政治的な面から説明をしてくれたんだ。そして彼が何人か話したらいいと思う人を紹介してくれた。その内の人が ジムで、彼がウィロウを紹介してくれて、ウィロウがジョイを紹介してくれて、最終的にはすでにつながっている人に戻ってきたりして。そんな感じでつながっていったんだ。

Q: 映画の後、食に関しての気づきは上がってきていると思う?

どうかな?それはわからない。

でも、最近ではどの都市に行っても 有機やちゃんとした出処の材料を使っているレストランがたくさんあるのは、この国で意識の変化が生まれてきていることじゃないかな。この映画が直接貢献できたこととしては、ベイエリア内で新しいコネクションを作ることができたことかな。映画に出た人たちがお互いのストーリーを知り、例えばジョイとアントニオが友達になったりとかね。すでに存在していた多くの活動をつなげることに貢献できたのは嬉しいことだった。

一つ映画に付け加えたいことがあるとしたら、どうやってこういうパッションから生まれた動きが持続可能になっていけるかという部分だと思う。

今、多くの団体が経済的にサステナブルなモデルにシフトしてくる

コミュニティベースの非営利の活動はパッションのある人が始め、その人が頑張ってひっぱることで続いているケースが多い。それはもちろん大切なことだけど、でもそのコアメンバーがいなくなると、多くの場合続かなくなくなってしまう。

興味深いのは社会的な活動をしつつも営利活動をするソーシャルビジネスなど新しいビジネスモデルが生まれてきていることだ。コミュニティにちゃんと貢献するけど、ビジネスとしてもサステナブル。Planting justice (*2) やPie Ranch(*3) などとても素晴らしいと思う。でもこれらの団体は自分が映画を撮り始めた時には存在していなかった。自分がパッションを持っていることを、この壊れたシステムの中で続けていく方法を見つけることが課題だと思う。今のシステムは正直いってめちゃくちゃだけど、でも今はこのシステムの中で活動しながら変化を生み出さないといけない。もちろん草の根は大事だけど、映画の一つの目的は草の根の人たちをワシントンでネクタイして働いてる人たちとつないでいくことだった。

ムーブメントを起こして、政治的力と意志を生み出していくのは新しいアイデアではないよ。自分はそういうことを学び始めたのが遅い方だと思う。スローフードネイションはすでにこういったムーブメントの一部だったからね。そもそもベイエリアは都市型農業の歴史のある場所だった。自分たちは3つ目の波なんじゃないかな?例えばスローフードネイションの会議でサンフランシスコ市庁舎の前にコミュニティファームを作った例だけど、この会議がサンフランシスコでホストされると知った瞬間、市の委員会でのミーティングで多くのとても影響力を持った都市農家が集まってきた。そして会議の際には都市農場を作るべきだと主張したんだ。もちろん委員会は懐疑的だった。でもそこで1945年の写真を持ち出し、1945年にできたことを今の自分たちにできないのは恥ずかしいことだと、過去のデータや事例などを含んだ素晴らしいプレゼンをして委員会を納得させてしまった。こんな風に知識と戦術を持った活動家はちゃんと準備ができていて、人々がNoと言えないほど説得力を持って事を起こすことを可能にするんだ。サンフランシスコは市民活動の歴史の中で、何度も同じような経験を積んできから、活動家の考え方や戦術がとても成熟しているんだと思う。

でも、直接的な経験がないとできないというわけじゃない。オキュパイファームは、20歳そこそこの若い学生たちが始めたムーブメントだ。彼らは知識はあったけど経験があったわけじゃない。でも違う未来もあるんだと知っている事と、自分たちが生み出そうとしているビジョンを最後までやり遂げる強い意志があれば、多くの事が起こり得るんだ。

Q:映画を見た人に何を期待していますか?

とにかく多くの人に見てほしいと思った。映画を見た人が映画に出てくる魅力的な人たちのストーリーに インスパイアされて行動を起こしてくれたら自分の目的は達成されたと思う。

<参考>

*1 スローフードネイション
Slow food nations 公式サイト https://slowfoodnations.org/

*2 Planting justice 公式サイト https://plantingjustice.org/

*3 Pie Ranch  公式サイト https://www.pieranch.org/

 

左から冨田栄里、アンドリュー、ジェイ

コメント

タイトルとURLをコピーしました